やりたいことなんて、やらなくていい。

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どうも。ミナミ【Twitter】です。

「やりたいこと」が一つもない…そんな人間なんていない。

スケールの大小はあれど、誰もがやりたいことの一つや二つは必ずある。

ぼくにだってやりたいことはあります。

それもたくさん。

しかし、それらを今すぐ、全て実行に移すのは、今の僕にとってはかなり厳しい。

それはなぜか。

 

現在29才(平凡なサラリーマン)のぼくには嫁と子供が二人いる。上のむすめは小学校に上がったばかりの1年生、下のむすこはまだ幼稚園に通っている。

いってみれば、僕の立ち位置は
゙超絶ふつうのパパ゛

これからも家族を養っていかなければならないし、子供が大きくなっていくにつれ必要になってくるお金もどんどん増えていく。

そんな状況でぼくが家族に向かって

「父さん、明日からギター1本で食っていく」

なんていったら、どんな家族だって反対するに決まってる。(ギターの腕前がジミヘン級なら話は別ですが)

まあクソでクズの自分が普通のパパになれたこと自体ぼくにとっては、凄まじい成長なんですが

僕のクズエピソードはこちら♤

それでも「やってみたいこと、好きなことをすきなだけして生きていけたら…」という気持ちは消えない。

むしろ、いろんな本や好きなことを好きなだけしているひとの活動を見ていると、そういった思いは強くなる一方。むしろ何で自分はそうじゃないんだとさえ思うときもあるくらいだ。

 

「やりたいことをやれない」

 

酷くモヤモヤしたこの感情を何とあらわそう。敗北感、喪失感、自己嫌悪感というべきか。

いずれにせよ、こんな思いを抱えたことがあるのは、きっとぼくだけではないはず。

ぼくとドンピシャの立場でなくても、似たような環境におかれている人は少なくないと思う。

この感情をバネに、何クソ!といろいろ工夫し、頑張っていけるなら何も問題はない。むしろ、それは良いことだ。

しかし、「やりたい」というポジティブな感情が原因で「自分にはできっこない」というネガティヴな感情を生み、毎日を楽しく生きていないひと。

そんな生き方を選択するのはどう考えたって間違っていると僕は思う。

やりたいことをやれないからといって、卑屈になる必要はないし、楽しく生きることをあきらめることはない。

 

だから、そんな負の思いを抱えているひとに向けて、僕なりの考えをお話したい。

結論からいえば「自分らしく生きる」が問題解決のカギである。

なぜそう思ったのか。順に書いていきたいと思います。

やりたいことより幸せなこと

そもそも、なぜやりたいことをやれないと、負の感情が生まれるのか。

それは、やりたいことを好きなだけやって生きているひとが存在するからであり、そんな人たちと自分を比べ、その人たちより自分は有意義な人生をおくれていないと感じるからだ。

 

つまり、やりたいことをやれないこと自体に負の感情を抱くのではなく、やりたいことをやれない(他の人はやれているのに自分はやれていない)と思うから負の感情がうまれるのだ。

好きなことを生きているひとは誰だって輝いてみえる。だから、自分もそう生きないといけない。その生き方が絶対の正解なんだと感じてしまう。

 

でも人の生き方なんて人それぞれで違う。だから、正解も一つではなく、人の数だけ存在する。

ここをしっかりと理解し、人と比べることをやめてしまえば、心が少し軽くなるのではないでしょうか。

やりたいことをやれないと周りと比べてなげくより、自分の考え方一つで楽しく生きることができるのに、それをやらないというほうがよっぽど罪なことだと僕は思う。

ビール一本で今日が幸せになるなら、今すぐ栓をぬいちゃいましょうよ。

ホントにやりたいことなのか。

自分の頭のなかにあるやりたいこと。それは、ホントにやりたいことなのでしょうか。

人と比べるとかでなくホントに自分の中から湧き出るやりたいなら、その事柄を優先し実現できるように計画を立て行動に移すべきです。

でも、やりたいという感情だけが先走り息苦しくなっているひと。

それだけじゃなく、その焦りのようなモノのせいで今すでにある幸せにすら気づけなくなってしまっているひと。

ぼくはこんなひとたちを見るたび(自分も含めて)バカなやつだなと感じるようになりました。

 

一度立ち止まり、冷静になって考えてみてほしい。

自分はホントにそれをやりたいのか、自分にとってホントにそれは重要なことなのか。

周りのひとにつられて、ただただやりたいと叫んでいるだけなのではないのか。

頭を整理した結果、今のままで充分幸せなのだ。と思えるひともいるのではないでしょうか。

やりたいと口では言ってみても、ホントはそこまでやりたいことではないという人もいるだろう。

 

なら、その「そこまでのことに対し、負の感情を抱き、人生をネガティブなものにしていた」なんて考えると、こんなにバカげたことはないと思いませんか?

また、やりたいことのスケールにもよりますがやりたいことが大掛かりなことであればあるほど、何かを捨てるという選択をしなければならなくなります。

それは、家族との時間であったり、友達であったり、愛着のある町であったり、お金であったり。

 

捨てるモノの相場は、自分にとってとても貴重なモノであることが多い。

それらを捨ててまで自分は何かをやってみたいのか。

それに、それらが原因で自分が捨てられることにもなりかねないということも、しっかりと理解しておいた方がいい。

 

なくなってからでは遅い。

自分のやりたいが、自分のホントに大切な何かを壊してしまないか。

このあたりも「自分らしく生きる」ために、1度考えてみてほしい重要なことだと、僕は思う。

全てをやりたいことで埋める必要なんてない

極論になりますが、生きてるだけで幸せだなと感じるならやりたいことなんてやらなくてもいいし、なくたっていい。というのが僕の持論です。

自分が今を少しでも楽しいと思い生きることが何よりも大事だと僕は思います。

かといって、自分のやりたいことをやろうとしている人を否定しているわけではない。

理屈ではなく、どうしてもやってみたいんだと思い、活動しているひとはむしろ素敵です。

ただ、先にも書きましたが人は人の数だけ生き方があり、何が幸せなのかも人それぞれ。

 

好きなことを好きなだけやる

 

誰かにとってはそれがすごく幸せなことであっても、自分にとってはそれが今ある幸せをつぶす結果になることだってある。

だから、やりたいこと、好きなことも、人と比べるのではなく、自分らしく自分の環境にあったペースでやることが大切。

それでいて、もし自分のやりたいことが結果自分の人生を息苦しいものにしているなら、やりたいことなんてやらなければいいし、はじめたことが楽しくないと感じたなら、やめていまえばいい。

重要なのは「やりたいこと」よりも「自分の基準で、自分らしく今を楽しく生きる」こと。

やりたいことができないと悲観的になっているひとも、ホントは今ある幸せが見えていないだけで、実は最高に幸せな人の1人なのかもしれません。

 

あなたはそうではないといいきれますか?

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ABOUTこの記事をかいた人

「読書」と「考えること」が主食。読書から得た学び、これからの生き方・働き方について、主に書いているブロガー。 無職で結婚→日雇労働→副業サラリーマン(今)→面白いことで人生が埋め尽くされている(未来)→木(来世)