南大阪にいたぼくが、台風21号を受けて感じたこと。

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これは、誰かを怖がらせたいから書くのではなく、かといって誰かに心配されたいから書くわけでもない。

というか、正直に言うとほとんどは自分のためだ。今回のことをわすれないため、自分のために書く。

それでも、ブログという誰でも見ることができるテキストノートに書いていくのは、

ぼくの体験から何かを感じ、これからの自分にほんの少しでも活かしてくれる人が、もしかすると一人ぐらいいるのではなかと、ふと思ったからです。

 

南大阪にいたぼくが、
台風21号を受けて感じたこと。

2018年9月4日、午前9時。

「今回の台風は非常に危険です。皆さん、厳重に警戒してください」

前日に放送されていたニュースをおもいだし、ぼくは台風21号上陸に備えようと近くのコンビニへ向かった。

風はまだなく、辺りも日常となに1つ変わらないごくごく平和な感じで、「本当に台風なんてくるのかな?」という印象だったのを今でもすごく覚えている。

それでも、備えあればなんとやら。

万が一を考え、断水対策に2リットルのミネラルウォーターを3本。カセットコンロが家にあるのを考慮し、カップラーメンを4つ。

気象庁が停電を予想していたので、その対策にと懐中電灯やスマホ充電器用の乾電池を買った。

家にかえり、風呂おけに水もためた。ベランダにある子どもが学校から持ち帰ってきたトマトの植木鉢やすだれを家の中に引き入れ、飛散物の防止にもそなえた。

お昼前、ポツポツと雨が降りはじめてきたので雨戸を閉めることにした。

外の光は一切遮断される。雨戸をしめたときに感じる独特の閉鎖感にすこし嫌な気持ちになったけど、これから台風がくるのだから仕方がないと自分に言い聞かせ、部屋の明かりをつけました。

そこから台風がくるまで、本当に速かった。

1時間もたたないうちに雨は強まり、チカチカと電気が消えだす。

そこからわずか30分程度たった頃には、すでに風がものすごいいきおいで家の外を吹き荒れ、我が家の明かりを奪っていった。

気象庁の言ったことはホントだったなと感じながら用意していた懐中電灯と、地震対策にと嫁が少し前に100均で買ってきたBookライトをつける。

とりあえず窓際は危険だという判断を下し、少し狭いが部屋と部屋をつなぐ廊下にぼくと嫁、小2の娘と幼稚園に通う息子みんなが集合した。

電気が遮断されたので、当然テレビは見れない。情報はスマホとタブレットのみになった。

このことが今回とても怖くて、大きく反省した点の1つ。

何故かというと、自分がおもっていた以上にスマホがネットに繋がらなかったからだ。

情報なんて、スマホがあれば大丈夫だろと考えていたのだけど、これ、全然そんなことなかった。

欲しい情報にすぐアクセスできる、そんなことは当たり前。という環境で生きてきたぼくにとって、このことは本当に舐めていたなと思わざるを得ない出来事でした。

情報を上手く手に入れることができない。それがどんなに怖いことなのかを身に染みて感じた瞬間でした。

そんな人間の反省なんてかまうもんかと言わんばかりに、風はますます強くなる。

ときには家が揺れるほどの強さで我が家を通り過ぎていく。本当に家が吹っ飛ぶんじゃないかとおもった。電柱が家に倒れて死んでしまうのではないかともおもった。

ごうごうとした風の音が家の中まで響きわたり、雨戸がきしみ、まるでこの世の終わりを叫ぶ女のような音をあげる。

廊下でひかる、心もとない明かりが自然の怖さをより倍増させた。

唯一の救いは、任天堂スイッチというゲームのバッテリーが満タンであったため、子どもたちが思いのほか怖さを感じていなかったことだ。

任天堂には頭が上がらないな。子どもたちを見て、純粋にそうおもいました。

 

いつまで続くのかという風も、徐々に和らいできた。

停電はまだつづいていたけど、本当に救われた気がした。実際、そうなのだろう。

しかし、家の外に出てみると気分は一転した。

近所にあるトタン屋根の倉庫は、隣の家にもたれかかるように崩れ落ち、24時間消えることのない信号機は、普段僕たちが見慣れない角度で、自分の仕事を放棄していた。

 

うちに戻り、嫁とこれからどうするかを話した。

幸いにも、我が家のハイツは停電だけで、水、ガスの2つは生きていた。しかし、電気1つ取られても今の世は大問題だ。

だから、情報源を増やすために電池式のラジオ、モバイル充電器をもう1台、食卓用のライト、それらに使う乾電池を買い増すことにした。

いつもの道を車ですすむ。信号の止まった交差点を譲り合いながら曲がる。めくれ上がった看板を見る。飛び散った瓦を見る。いつもの町が、いつもと違うことを、改めて感じさせられた。

 

道中をすすむにつれ、これまた不幸中の幸いだったのが、近くの電気屋さんが開いていたことだ。

しかし、停電していることにより、監視カメラやレジの関係もあってか2つの制限がかかっていた。

  • 店内への入場は1~2人ぐらいと規制があること
  • 現金払いしか対応できないこと

といったものだった。

ぼくがきた時、すでに店の前には5~6人並んでいた。その後ろに並んだあと、ぼくの後ろには20人くらいの列ができていた。

今おもうとコンビニや薬局、スーパーマーケットなど、台風直撃直後のあの時間はどこの店も軒並み閉めていた。

そう考えると、じぶんたちが欲しいモノが置いてある店が近くで開いていたのは、本当に恵まれていた。

店員さんたちにも、きっと家族がいるだろう。しかし、そんなことはおくびにも出さずみんな丁寧に接してくれた。

あんな悲惨な状態にもかかわらず店を開けていた「ヤマダ電機」には尊敬と感謝しかない。

もし、ぼくがこれから電化製品を買う必要が出てきたなら、どの店で買おうかと迷うことは金輪際ないだろう。

 

家にかえると、嫁が夜ご飯の支度をしていた。

日が沈み、かなり涼しくなったとはいえ、クーラーの使えない室内で火を使えば汗をかくには純分な温度になっていた。

買ってきたライトをつけ、ラジオで放送局を探し、流した。

音があれば何か安心するといった嫁のコトバに、ぼくも同じ気持ちで頷いた。

 

そして午後9時ごろ、我が家の電気は、無事返ってきました。

 

 

台風21号から一夜あけた今

 

ぼくたち家族が住む家に、電気は今も正常にきています。水もガスもいつも通り、変わりなく使えます。

しかし、目の前の道を挟んだその向こうのエリアではまだ停電していたり、場合によっては断水しているところも数多くあります。

実際、嫁側のお母さんの地域は今も断水と停電で、今日はうちに泊まっています。

そんな状況を考えると、ぼくなんてホントにまだ恵まれてる方で、被害が少ないのが事実です。

しかし、それでも、テレビでしか見たことがないようなことが、自分の身に降りかかったという感覚は今でも抜けないのが、ぼくのおもう純粋な気持ちです。

 

 

これは、誰かを怖がらせたいから書いたのではなく、かといって誰かに心配されたいから書いたわけでもない。

というか、正直に言うとほとんどは自分のためだ。今回のことをわすれないため、自分のために書いた。

それでも、ブログという誰でも見ることができるテキストノートに書いたのは、

ぼくの体験から何かを感じ、これからの自分にほんの少しでも活かしてくれる人が、もしかすると一人ぐらいいるのではなかと、ふと思ったから。

 

自分の現状を書いたところで何か変わるのかは分からない。というか、まだまだ爪痕が残る今、こんなことを書くことじたい、あまりよくないことなのかもしれない。

しかし、ぼくにできることは、いまのところこれくらいしか見つからないので書きました。

じぶんにできることをこれからも探し、できる範囲でやっていこうとおもいます。

不謹慎なのかもしれないけど、できるだけ明るく!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「読書」と「考えること」が主食。読書から得た学び、これからの生き方・働き方について、主に書いているブロガー。 無職で結婚→日雇労働→副業サラリーマン(今)→面白いことで人生が埋め尽くされている(未来)→木(来世)