最後の秘境東京藝大/二宮敦人【読書感想・書評】

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あなたは、

大仏のつくり方をしっていますか?

多くの人は、きっと考えたこともないのではないか。

何を隠そうぼくもそうだ。

 

しかし、大仏のつくり方は知らなくても、大仏自体を知らない人はいないだろう。

知っているけど細かいことはなにも知らない。世の中には、そんなことがまだまだ溢れている。

 

今回読んだ本は、そんな知的好奇心をビシビシ刺激される一般的には知られていない世界と、

そこで日常をすごしている天才とも言える芸術家たちのおはなしです。

 

最後の秘境東京藝大
天才たちのカオスな日常の概要

本書は、音楽と美術の両方がおなじ学校内にある東京藝術大学、通称〝藝大(げいだい)″について書かれている著書です。

美術や音楽という藝術を極めんとする人、藝術が好きで好きでたまらない人、また、ものごころがつく前からそれらに触れ合っている人たちが集まる学校、藝大。

そんな、普通の人たちからすると一般的とは言えないルートをたどろうとする者たちは、いったいどんな人たちなのか、どんな日常をおくっているのか、

はたまたどんなことをこの学校で学んでいるのか、といったことを生の藝大生にインタビューし、藝大について探っていく、という感じの本でした。

 

まず、そもそもなぜ著者の二宮さんは本書〝最後の秘境東京藝大:天才たちのカオスな日常″を書くに至ったのか。

それは、著者自身の妻が藝大に通っているからなのだそう。

普通に生きているだけでは思いもつかないようなことを平然とやりとげたり、人とは違う観点をもった二宮さんの妻さん。

そんな妻が通う学校とは、いったいどういった学校なのか。ということが本書を書くキッカケなのだとか。

多分、きっと面白い人たちがたくさんいるに違いないと二宮さんは思ったのだろう。

本書は、そんな二宮さんの思惑どおり、一風、いや二風三風変わったヒトたちがたくさん出てきては、とても刺激的なお話や体験談をきかせてくれる内容になっています。

最後の秘境東京藝大
感想・書評

この世には、まだまだ知らないことが沢山ある

本書を読んで、まずはじめに感じたのが自分にはまだまだ知らない世界が沢山あるんだな、ということ。

たかが30年程度しか生きていない僕にとって、それはあたりまえと言えばあたりまえのことなんだけど、そのことを再度ハッキリとわからしてくれる、本書はそんな書でした。

例えば、冒頭にも書いた「大仏のつくり方」

実際、どれほどの人が大仏のつくり方を知っているだろう。おそらく、ほとんどの人は考えたこともないとおもう。

しかし、誰かが作ったから大仏は今も日本に存在している。ということは、大仏のつくり方というのも同時に存在しているということ。

そんなことを考えていると、ホントこの世はまだまだ自分の知らないものだらけなんだなと、感じずにはいられませんでした。

こんなことを書いてると、「そんなことを知ってどうする?」といったコトバがどこからともなく飛んできそうだけど、知ってどうするかなんて、ぼくにだって分からない。

ただ、知らないことを知るのは、純粋に楽しい。

きっと、学ぶってそういうことなんだよなぁ、と本書を読みながら一人、あたまの中でつぶやいていました。

自分にとっての普通が、誰かにとっては価値のある個性になる

本書に出てくる人の大半は、容易に想像できる世間一般の方とは全く違う生き方をしている。

例えば、本書の中に登場するピアノを専攻している女性。彼女は、毎日ピアノを9時間ぐらい練習するのだそう。

さらに、小さな問題点でも見つけようものなら、時間を忘れ、それ以上練習に打ち込むこともあるのだとか。

これだけでも通常の人とは違う生き方をしている、ということががありありと分かる(このエピソードですら本書の中ではまだ序の口といったところだが)

だけどこれ、当人からすればごくごく普通の日常で、じぶんにとってはあたりまえの日々なのだ。

誰がなんと言おうと自分にとってはそれが普通で、一番自然な生き方なのだ。

そう考えると、さすが芸術家!普通の人とは一味違うな!と、思うヒトもいるだろう。

確かに、その通りだとぼくもおもう。

しかし、少し見方を変えれば、誰にでもそういったものは少なからずあるのではないか、とも本書を読みながらおもった。

例えば、ぼくは本を読むのが好きだ。

面白い本なら寝不足になろうが寝ずに最後まで読んでしまうこともあったりする。

たぶん、本を読む人からすればこんなのは普通の話で、なんなら「あるある話」にさえならないようなものかもしれない。

しかし、逆に考えてみると、本を読まない人からすればとてもじゃないけど考えられないような日常なのかもしれない。

このように、自分ではあたりまえのこと、ごくごく普通のことが、実はほかの誰かからすれば普通でなかったりするということは、自分ではみな気づいていないだけで、誰もが必ず持っているのではないかと。

じぶんにとっての普通は、誰かにとっては普通でない。

その誰かにとっては普通ではないけど、自分にとっては普通だということに磨きをかけることが、「人としての個性」に繋がり、ひいては自分らしく生きることに繋がるのかもしれない。

そんなことを本書を読みながら、考えていました。

考えすぎるのも考えモノ

ぼくもそうだからあまり大きな声では言えないんだけども、ヒトは、何かにつけて理由や訳をつけようとしてしまいがち。

それが悪いわけではないし、むしろ大切であることも多い。

だけど、本書を読んでいると全てのことに対してそんなことをする必要はないのかもなぁと、深く考えさせられました。

子どものころは皆、ただ楽しいから走ったり、面白いから公園にある滑り台をすべった。

なにかをすることが目的で、それ以上の意味を考えることもなかった。

藝大の人は、そんな童心を忘れず今を楽しむために生きている人が多かったです。

それが、とても素敵で、自分にとっては薄れている部分だったなと、本書に教えられました。

最後の秘境東京藝大
まとめ

やはりといってはなんだけども、芸術家を目指す藝大のひとたちは、やっぱりカオスなヒトが多いです。

それが伝わる内容を、最後に本書から少しだけ引用させていただく。

これは、藝大の中にある金属加工を行なっている部屋で、著者の二宮さんと准教授との間で交わされるやりとりだ。

何気ない会話なのだが、とても興味深い会話なので、是非とも読んでみてほしい。

「見学かい?今、鉄を切ってるから見てく?」

『いいんですか?』

「うん」

「鉄はいいよねえ」

『鉄の何がいいんですか?』

「硬いところだね」

『硬いところ…ですかあ』

「うん、硬いところだねえ」

どうだろう。なかなか普通に日々をすごしているだけではお目にかかることはできない会話ではないだろうか。

本書では、こんな普段、普通とはかけ離れた話、会話がたくさん書かれています。

それだけでも、面白く読める作品だということが伝わったのではないだろうか。

 

美術や芸術、音楽とは、決まった答えがあるものでもなければ、何が正しいというたぐいのものでもない。

しかし、だからこそ人としての個性が重要であり、それが当たり前のように尊重される学校。

そんな学校に通う人たちは、やっぱりとても素敵なひとで、カッコイイ人たちばかりでした。

あなたもぜひ、本書を読みそれを体感してみてください。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

「読書」と「考えること」が主食。読書から得た学び、これからの生き方・働き方について、主に書いているブロガー。 無職で結婚→日雇労働→副業サラリーマン(今)→面白いことで人生が埋め尽くされている(未来)→木(来世)