良い考え方ほど強く生き抜くために効果的な武器はない、という考え。

 

 

やりたいことがない。

だから、自分の人生はパッとせず、輝きもせず、こころから楽しいとも言えない。

 

ぼくは読書に出会うまで、ずっとこのような思いをもちながら生きてきた。

厳密に言えば、少年時代や学生時代はすこしちがったかもしれない。20歳をまわり、世間の定める大人とよばれる年齢を過ぎたあたりから、といったほうが正しいのかもしれない。

しかし、そんなことは誰も興味がないだろう。だから、こんなところで立ち止まらず話をすすめることにする。

 

ぼくには今、やりたいことがいくつかある。それは、とても楽しく、とても良いことだと純粋におもってる。

やりたいことがあれば、それらはそのまま生きる糧になる。時間が惜しいという充足感を味わえもする。すべての日ではないけど、明日を迎えるのが楽しみにもなる。

やりたいことさえやっていれば、人生はそう捨てたもんじゃない。

小説、下町ロケットに印刷されてあったこのセリフは、個人的にも、まあ正しいとおもっている。

しかし、その一方で、やりたいことが出来ない状況に置かれることもある。サラリーマンなんだから、仕方がないと言えば仕方がない。

そんなときは、やっぱり楽しくない。

むしろ、完全にこなすことのできない物量の仕事を見ると、「何のために自分は生きてるんだ?」と感じてしまうときもある。

 

〝人が生きる意味とは″

 

南直哉さんの著書、禅僧が教える心がラクになる生き方によれば、

「そんなもの、探さなくて良い」という返答だった。

 

この世の全ては「苦」である、と釈迦はいう。それが嘘偽りのない現実世界なのだと。

 

それなのに、生きる意味なんていう訳の分からないものを見つけるために肩ひじ張って生きるから、更にしんどくなる。

生きる意味なんてなくたって、人は楽しく生きていける。事実、そういった人はたくさんいるだろう、と。

 

恐ろしく後ろむきな意見にきこえる。

しかし、よくよく考えると、本当に辛くて苦しいとき、この考え方で自分を見つめ直すことができれば、からだのなかにあるもやもやとした思いや感情は手放すことができるのかもしれない。

生きる意味なんて探さなくてもいい。どんなに辛い1日でも、終わらない1日はない。

目を閉じればかならず朝が来るように、辛いこともずっと続くわけではない一過性であることがおおい。

だから、自分が落ち込んだり、マイナス思考になったときは、そんな考え方をしてみる。すると、こころは軽くなり、生きることがほんのすこしラクになる。

そんな考え方も、ときにはありなのかもしれないなと。

 

また、ぼくにはやりたいことがいくつかあるので立場は違うのかもけども、生きる意味なんて探さなくて良いということは、

やりたいことをやる必要もなければ、みつけなくてもかまわない、ということでもある。

やりたいことがないことに悩んでいるひとは、おもいのほか多いような気がする。なに不自由なく毎日を生きていける現代の日本人は、特にかもしれない。

そんな人たちにとって、このコトバは大きく勇気づけられるものなのではないだろうか。

そして、そのことで救われるひともたくさんいるのではないだろうか。

 

なにもしていない自分を棚にあげた思想だと感じるひともいるかもしれない。

だけど、ほんとにつらいとき、じぶんを棚に上げてやり過ごすことができるのなら、それも間違った方法ではない。

そうしてやり過ごしたのち、こころのエネルギーがもどってきたら、また頑張ればいいのだから。

 

 

良い考え方ほど、強く生き抜くために効果的な武器はない。

それは、どんなに消極的な考えでも、じぶんに合っているのなら、そうなんだとおもう。

どんな考え方がじぶんに適合するのかは人それぞれだけど、いずれにせよ、考え方ひとつで、生きやすさは大きく変わる。

 

そこは、おおよそ間違っていないと個人的には感じている、という話でした。

 

それでは、また。

参考図書👇

 

 

 

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読書感想を主に書いてます。 元ニート×ギャンブラー×無職で結婚した男がゼロから這い上がるべく、日々学んでいます。 【座右の銘】 言いたいことも言えない こんな世の中はポイズン。