無意味を追いかける意味。【走ることについて語るときに 僕の語ること/村上春樹】

 

 

2007年10月にうまれた本書。その時点で著者・村上春樹はフルマラソンを25回も完走している。

小説家が走るというだけでもピンとこない僕にとって、その数字は驚きを感じるには充分な力をもっていた。

 

「走ることについて語るときに僕の語ること」は、そんな説明不要の人気作家、村上春樹が自身のランナーとしての私生活を通じて、

タイトル通り「走ること」について、また、そこから著者自身が考える人生観についてをつづった本だ。

 

走ることはひとりでもできるスポーツ。走りだすタイミングも、スピードも、距離も、自分以外の誰かを気にすることなくできるもの。

ひとりでいることが全く苦ではないという著者は、マラソンというスポーツと自分がいかにマッチしているかを作中で語っていた。

 

そんな走ることがただ楽しいと感じていた著者も、一つのレースをキッカケにマラソンという競技に魅力を失い、いつしか走ること自体が減っていく。

そんな停滞期があり、時をへてまた走り出すようになるのだが、一向にタイムは上がらず、また、走ることについても満足がいかないまま、物語はフェードアウトしていく。

 

 

人生は、フルマラソンに似ている。

 

そんなコトバをぼくはどこかで、どこでだったかは忘れたけど耳にしたことがある、ような気がする。

 

本書は、まさにそのことを一人の人間を具体例にだし、証明するような本だった。

フルマラソンのオリンピックメダリストでさえ、走るのが辛いときだってある。これは、好きなことでも楽しめないときだってある、ということ。

また、努力してもそれが必ず報われるという確約はない、という世の中の非常さも本書にはあった。

だけど、だけども、それでも何かを目指して、あるいは何かに満足するまでじぶんが決めたことに挑戦する、

好きなもののために行動することは、人生においてとても重要だと、本書からは強く感じさせられた。

語弊を恐れず言えば、極論、これだけ移動手段が豊富な今の世で、走ることが得意といわれても、それほど社会の役には立たないだろう。

読書だってそうだ。

たくさんの本を読み知識を増やしたところで、たくさんの物語を味わいつくし読書の良さを語ったところで、それが何?と言われればそこまでなのかもしれない。

しかし、じぶんにとっての生きる糧や人生を生きる意味といういささか哲学めいた答えを自分なりに解くカギは、

いつだって簡単に割り切れる整数のようなものでなくて、完全なる不効率みたいなもので、ひとによっては全くと言っていいほど理解しがたいものなのだ。

だから周りに何を言われようが、それを追うことは決して間違いではない。なぜなら、日々を、自分の人生を色鮮やかに、艶やかに彩る方法がそこにあるのだから。

誰かにとっては無意味でも、自分にとって意味があるのなら、それは大いに大切にするべきではないか。

世界各国の大地を走り続ける著者、村上春樹の姿に、ぼくは、そう言われたような気がした。

そんな、本でした。

生きることに苦しんでる人、人生に意味なんてあるのかと悩む人にはぴったりの本だとおもう。

気になる方は、是非、読んでみて下さい。

もちろん、村上春樹さんならではの文章も最高にユニークで、素晴らしい読み物でした。

 

では、また。

 

 


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