ぼくが読書をすすめるワケは、自分のクソな過去にある。

 

 

いま思うと、そのときのぼくは退屈で退屈で仕方なかったのだとおもう。

まいにちパチンコ屋にいき、毎日おなじ画面を見ては一喜一憂し、運まかせな結末に神経をすりへらす。

そのときは、それが充実だとおもっていた。それが自分にとって人生の大きな楽しみの1つだと信じて疑わなかった。

しかし、じっさいのところ、潜在意識とでもいうか、こころの奥深くでは、そんな日々にウンザリしていたのかもしれない。

そのことに勘づいてしまうと、自分の人生にはなにも残らないような気がいて、ずっと気付かないフリをしていたのかな。

なんてことを、ほんを読むようになった今おもうときがある。

 

そして、ほんを読むことで、そのことに関する考えはおおきくかわった。また、そんなぼくが読書をはじめてわかったことがひとつある。

それは、悪しき習慣を断ち切ることは誰にだってできる、ということ。そして、それらが人生から消えたところで、じぶんの人生は空っぽになどならない、ということだ。

ふたつになってしまったけど、どちらも本当のことだから、硬いことをいわず許してほしい。

ぼくが読書をすすめるワケは、このクソみたいな過去にある。

そこんとこの詳しい話はこちらを👇
読書は、人生を変える。~ぼくが読書が愛人になったキッカケ~

 

働くことすらせず、親のスネをかじって生きていた自分。また、働きだしたはいいが、お金を手にすればギャンブルとお酒に全てをつぎこんでいた自分。

そんな、どうしようもなくクソ野郎だった自分が一冊の本を読むことにより、それらをいっさい手放し、いまでは読書が習慣になったという、嘘偽りのない自分の体験があるからだ。

つまり、ぼくのようなどうしようもない奴でも変わるキッカケを与えてくれるのが読書で、

そんな昔のぼくのような人が変わるキッカケを求めているのなら、読書はさいこうのツールになるぞということを伝えたいから、ぼくは読書をすすめているのだ。

 

また、ほんをよんで「時間の価値」がどれほど大切なのかも知った。

だから、パチンコにいくことがなくなれば、人生はこの上なくヒマになる、それどころか何の面白みもない空っぽの人生になってしまうのでは?とおもっていた自分だったけど、

そのような考えはただの勘違いだということがわかった。

 

やりたいことを見つけ、自分にとって大切なものをあらためて理解すると、パチンコにいく時間なんてムダいがいのなにものでもない、と個人的にはつよく感じた。

それは、どうせ負けるからお金がなくなるという金銭面についてもだけど、たいせつな時間をただただ浪費するということが、この上なくもったいないことだなと。

おなじ時間をすごすなら、大切なひととすごしたり、やりたいことをしたほうが幸せだ。

少なくとも、じぶんはそうおもってるし、これからもそうだとおもいます。

 

このように、ぼくにとって読書とは、人生を大きく変えてくれたものであり、挑戦する勇気を持たせてくれたものでもあり、やりたいことを見つけてくれたものでもある。

それはぼくだけでなく、だれかにとってもそうなる可能性がある。

だから、ぼくは読書をすすめる。

また、ほんをよむことが習慣になったいまとなっては、むかしのぼくのような人だけでなく、よりたくさんのひとに読書の良さをひろめたい、読書の可能性を伝えたい、ともおもってる。

誰かの人生が、ぼくたちの日々が、すこしでも楽しく、充実したモノになるようにと、ありったけの想いを込めて、これからもぼくは読書をすすめます。

ホントに、読書は良いのです。

 

伝わったかな。

 

すこしでも何かを感じてくれれば嬉しいです。

 

 

 

 

読書が愛人。

 

 

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