平等なんて、クソくらえ

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どうも!

読書ブロガーのミナミ(@baka_doku)です。

男女は平等!

平等な社会を目指すべきだ!

鳳凰堂は平等だろ!

などなど、世には平等を良しとするヒトが数多く存在する。

結論からいうと「そんなもんはクソ喰らえ」というのが、いまぼくが持っている考え。

平等とは、一見いいコトバのように聞こえる。しかし、違った見方をすれば、とんでもなく物騒なモノであるとぼくは思う。

 

 

 

 

 

 

平等院以外はね。

 

 

 

平等とは

そもそも平等とはなにか。

上も下も分け隔てなく、一直線上にみなが並び、等しいことだとぼくは捉えている。

皆が等しい…普通にゾッとしませんか?

どんなに頑張り結果を出しても、与えられるモノは皆同じ。極論ですが、平等とはそういうこと。それを良しと捉え、生きていくなんてぼくにはできない。

誰かの頑張りはちゃんと評価されてほしいし、結果を出したならそれに見合った対価が支払われるべきだとぼくは思う。

何が言いたいかというと、要は「平等」ではなく、「公平」に評価されることが1番良くね!?ってこと。

努力しているヒト、結果を出したヒトが正当に評価される。それが健全な世界だとぼくは考えます。

男女平等に物申す

何かにつけ男女平等を訴える女性っていますよね。そういう奴に限って「女」であるからこそ守られてたり、女性であるがゆえに許される不平等の権利を酷使しているという自覚がない。

日本で言えば飲食のお会計は男が出すパターンが多い。何故かこの時ばかりは女性の中から「平等」が消える。

割り勘と言おうものなら、ケチくさいこと言いやがってと、まるで虫ケラを見るような目で蔑んでくるとっても怖い女性もいるくらいだ。

さらにお金関連でもう一つ言えば専業主婦、もしくは旦那より稼ぎのない主婦が、家事や育児、その他もろもろの平等を訴えることにぼくは納得できない。

この場合平等を訴える、訴えたいなら、旦那と同等に稼ぐことができてからだ。

お互いが対等に立ち、はじめて平等を訴えることができる。

夜遅くの一人歩きだって、女と男が平等でありたいと考えるなら、女性が「あなたは私が襲われても平気なの?」なんてコトバを吐くことはできないのです。

男女平等を訴える全てのヒトがこうではない。逆に、ガチガチに男女平等のマウントを取れる逞しい女性もいるだろう。

だが、どちらにしろぼくは「平等」という考え方は良くないと思う。

頑張った、結果を出したヒトが正当に評価されるように、男女関係も「公平」が1番良い。

飯代ぐらい男が出せばいいし、稼げる奴が稼ぎ、奥さんが子育てや家事にいっぱいいっぱいになっているなら旦那さんが少し助けてやればいい。夜道が危険なら、迎えに行けばいいではないか。

そこを「平等に!」というのがそもそもナンセンスなのだ。

男女公平。

この考え方が、ぼくは1番しっくりきます。

全てを平等はそもそも無理

女性が活躍して働ける社会がない。女だからというだけで、なぜ男と同じように働けない。そこに平等を訴えるのはわかる。

まあぼくの中ではこれも「不公平」という平等ではなく公平の分野に分類されるんだけど、そこはこれから改善されればいいなと純粋に思う。

しかし、やっぱり全てが平等なんて無理だ。

「平等」とは1に対し1という考え方。さすがに全てをこの比率で考えることはできない。

逆に「公平」とは、その都度、1番適した比率でモノゴトを見るということ。

頑張ったヒトは正当に評価される。

力仕事は男性、ご飯の準備・子育ては女性など、それぞれ適性の役割をこなす。

「平等」ではなく「公平」

これがぼくの「平」に関する価値観です。

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読書感想を主に書いてます。 元ニート×ギャンブラー×無職で結婚した男がゼロから這い上がるべく、日々学んでいます。 【座右の銘】 言いたいことも言えない こんな世の中はポイズン。