ビジネス書も投資だろうが小説も投資だろという話を一分間で伝えてみる。

 

 

いきなりだが今回は、小説は浪費という考えにぼくなりの意見をぶつけてみたいとおもう。

それ以外のことはなにも書かない。

だから、そのことに興味がないならここから先は読むべきではない。

時間をムダにすることのないよう、ここでシャットアウトしてくれてかまわない。

 

ではそれ以外の読書好きにむけて、さっそく本題について書いていくとする。

 

ビジネス書は投資、小説は浪費というよく耳にするこのフレーズ。

 

前者についてはなにも言うことはない。

お金を稼ぐ方法、働くことに役立つスキルやノウハウ、生き方、考え方について書かれているビジネス書を読む意味はぼくたちにとってとても大切なことだといえる。

ひとりにつき、ひとつまでの人生、他の人がなにを考えどう生きたのかを知ることは、人生を2倍3倍に増やすことといっても過言ではないのだから。

 

では後者の小説はというと、そのおおくはフィクションで書かれているものがほとんどだ。

もちろん、著者の体験がなにも入っていない、ということではない。が、あたまのなかでつくられた架空のストーリーであることに違いはない。

また、小説が取り上げる題材は「恋愛」「ミステリー」「ファンタジー」「SF」と実に多種多様で、自分たちが生きることとは到底結びつかないように思えるテーマもたくさんある。

その事実と、そのような考え方があるから、小説は娯楽で読まれることが多い。

だから小説は浪費なんだと、ぼくが読んだビジネス書では結論づけられていたと個人的にはおもっている。

 

本当にそうだろうか?

 

個人の結論からいうと、ぼくはそう思わないというのが自分のこたえだ。

フィクションだろうと、自分ではない人間がどのように生きたのかを追いかけたり、じぶんとは違う新しい価値観にふれてみることは、なんの意味もないことではないだろう。

というか、ビジネス書を書いた著者に会ったことがないなら、ぼくたちにとってビジネス書を書いた人物とフィクションの人物にそう変わりはないのではとさえおもったりもする。

どんな本にだって、何かを教わることはできる。小説だって、人の手によってつくられたものなのだから。

 

仮に、文字を追うだけの読書なら、それは浪費といわれても仕方がないとぼくもおもう。が、それはビジネス書だって同じで、そこに隔てはないだろう。

また、娯楽として読むから浪費だという考えも、ひとによってその捉え方はおおきく異なってくる類とおもう。

明日をがんばれるために、純粋にじぶんを癒すために、主体的に小説を読むならそれも立派な自己投資ではないか。

 

小説を読むとコトバを知ることができる。文章をつくる力を磨くことができる。

ひとつでも話のネタになりそうなことが書かれていたなら、それはそのままじぶんにとって役立つ知識になる。

 

ビジネス書は投資、小説も投資。

 

これが、ぼくのなかの正解だ。小説は断じて浪費なんかではない。

人生を豊かにするため、じぶんを深めるため、疲れたからだをいやすための投資。

それがぼくにとっての小説です。

 

 

 

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